昨日は卒業式、その後最後のGraduation
Partyでした。帰宅は朝の6時半・・・ 私の10ヶ月ちょっとのINSEAD生活が終わり、このWeblogも一旦終了とします。 どういう形でこれを残すかはあまりにもintensiveであっという間に過ぎ去ってしまったINSEAD生活を消化する中で考えていきたいと思います。
ずっと読んでくれていた皆さん、ありがとうございました。日本でお会いしましょう。
posted at 3:29 PM
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今日は卒業式。 場所はParisのLa Maison de la
Chimieという由緒ある建物。
Housemate全員で家族も交えてLunchの予定。
posted at 11:42 AM
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Dubrovnik | 130人でのクロアチア卒業旅行から帰ってきた。
行ったのはクロアチアの南の端、Dubrovnikという要塞都市でUNESCOの世界遺産にも登録されている。海と中世の街並みの調和が美しいこの街は第二次世界大戦後ユーゴ最大の観光都市だったけれど、1992年クロアチア内戦で砲撃を受けて相当のダメージを受けた。 今は再建の努力が実ってヨーロッパではHOTな観光地。Dubrovnikの旧市街はヨーロッパからの観光客だらけだった。
130人もいるので、どうなることかと思ったけれど、昼間はビーチで寝たり泳いだり、スクーターで近くの村や丘の上まで行ったり、とRelaxした時間。夜はクラブに繰り出して朝まで飲んで踊りそのままホテルの朝食に直行している人もいたけれど私はわりとおとなしくしていた。
何よりもよかったのが、たぶんここ1年で初めて時間に追われず何も考えない時間が取れたこと。卒業すれば文字通り世界各地に散ってしまうみんなとゆっくり話す時間が取れたこと。
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Mostar | 内戦終了から10年も経っておらず、卒論のテーマにまでしたボスニアのすぐ近くまで来ておきながら、その事実に目を向けずビーチで寝てばかりいるのは違う気がして昨日はトルコ人のJonas、カナダ人のSriと3人でレンタカーを借りてBosnia-Herzegovinaの街Mostarまで行ってきた。
Mostarはネレトバ川にかかる16世紀に架けられた石橋が美しい街だったが、クロアチア人とイスラム教徒が共存していたために1993-1995年のボスニア内戦中激戦地となった。写真は破壊されたビル。街中は再建が進んでいたけれど、至るところにまだ銃撃でボロボロに破壊されたビルが残っている。 観光局で頼んだガイド、21歳の学生Asim君(内戦が始まった時10歳)と一緒に歩いて街を回った。戦争の傷跡を見に来た観光客というのは複雑な気分だったけれど、それはまた別の機会に。
最後にみんなで旅する機会、卒業旅行が終わってしまい明日はいよいよ卒業式。 世界中からみんなの家族がやってくる。日本からは私の両親と弟もやってきます。
posted at 7:48 PM
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